沖縄ウェディング プロデュース 「Love Baile(ラブバイレ)」

過去の公演から 6 英国バーミンガム・ロイヤル・バレエ団「美女と野獣」

2010.11.11

美女と野獣

 英国バーミンガム・ロイヤル・バレエ団「美女と野獣」は今から約3年前の2008年1月8日(火)東京文化会館で行われたもの。

 バーミンガム・ロイヤルバレエ団は「美女と野獣」と「コッぺリア」を上演しました。「コッぺリア」には有名な吉田都がタイトルロールで主演するということでどちらを見るか悩んだのですが、「美女と野獣」は日本での初演であり、あいまいな記憶の中では、バーミンガムのオリジナルの演目だったような気がして…。そのため今回は「美女と野獣」を見に行くことにしました。

野獣の時はかぶりものをする…

 美女と野獣は、ディズニー映画などでもおなじみのように、野獣の王子が純真無垢な美しい主人公ベルの外見に惑わされない一途な愛情で、人間の王子に戻るというもの。今回の公演で他の演目と何より違っていたのが、まず主人公の野獣がほとんど終盤までずっとかぶり物をしているということ。そのほかの、森の住人たちも、眠れる森の美女の第3幕の、赤ずきんと狼や、長靴をはいた猫のように、とにかくかぶり物の割合がかなり多い。

 英国バーミンガム・ロイヤル・バレエ団芸術監督のデヴィット・ビントリーの振付に文句があるわけではないのですが、なんだかバレエを見ているというよりは、小さいころに見たマスクプレーミュージカルを見ているようなそんな気分にだんだんなってきました。あえてかぶり物でなくても、メイクなどで野獣であったり、動物であることは表現できるのではないか。それを演技や踊りで表現してこそバレエではないのか、とどこかにひっかかりがあって、舞台装置も豪華絢爛だし、衣裳も面白いし、オーケストラだし感動できる要素は何かしらあるはずなのに、どこか舞台に入り込めないでいました。また、音楽がこの舞台のために創作された新作で、音楽の盛り上がりと舞台(踊り)の盛り上がりがいまいちあっていない気がしたのと、主人公のベルに存在感がなくソツなく踊るが緩急がなく眠くなってしまう…という理由もありました。

 なぜ舞台に入り込めないでいるのかずっと気になっていました。それは、まるで舞台中ずっとそこに薄い紗幕がかかっているようで、舞台を見ている感覚というよりは、巨大スクリーンを見ている感覚といったほうが近い感じでした。生のエネルギーを感じない。

 その私の感情を昨日徹夜して読んだ、村上春樹「国境の南、太陽の西」に偶然にも見つけたました。

表紙より

 「…いくらじっと目を閉じて、意識を集中しようとしても、僕はどうしてもその音楽の世界に没入することが出来なかった。その演奏と僕のあいだには薄いカーテンのような仕切りが一枚介在していた。それはあるのかないのかわからないくらいのとても薄いカーテンだったが、どれだけ努力しても僕にはその向こう側に行くことができなかった。…」

 私が「美女と野獣」に感じた気持ちはまさにこの感覚でした。小説の中では、リストのピアノ協奏曲を聴きに行くシーンです。

野獣が人間に戻るラストだけ男性ダンサーの顔が見える

 舞台は生きています。同じ舞台を見ても、他の人は感動したかもしれませんし、大好きな演目に挙げているかもしれません。今日と明日の舞台は出演者を含めすべてが同じでも、違います。相性が合わなかったのだと思います。どんなことにも、どのように感じるかは人それぞれ。自分で体験してみなければわからないもの。ある意味で今までとは違った感覚を知ることができた、3年たっても忘れない思い出深い公演の一つです。

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過去の公演から 5 マニュエル・ルグリの新しき世界(Bプロ)

2010.11.10

ルグリのサイン入りポストカード

 2010年2月6日に行われた、マニュエル・ルグリの新しき世界(Bプロ)「ルグリと輝ける世界のスターたち」。そのメインプログラムは、なんといっても互いが生きる伝説といわれ、40代というバレエダンサーとしては年齢を重ねているマニュエル・ルグリとシルヴィ・ギエムの15年ぶりの共演である。しかもこの公演は、世界を巡業するものではなく、日本の東京のみで行われるとあって、チケットが早い段階でソールド・アウトしたのも頷ける。

 マニュエル・ルグリは、1980年15歳でパリ・オペラ座バレエに入団してからほぼ29年、その秋に45歳になるという2009年5月に同団を退団しました。近年のパリ・オペラ座バレエのエトワールの中でも、グラン・エトワールと称された比類なきトップ・ダンサー。同バレエ団の同僚ダンサーを率いて日本において1996年より6回にわたって行われた「ルグリと輝ける仲間たち」は退団より一足早く2007年にシリーズを終了しています。(沖縄に来たのもこの公演です。)

 ルグリ退団後の記念すべき新しい公演は、ルグリのために振りつけられた作品、世界初演の「ホワイト・シャドウ」とともに、15年ぶりとなるギエムとの共演で日本のみならず世界のファンを熱狂させたことと思います。演目は、二人のうちのどちらかのレパートリーではあるが、もう一人は踊ったことがないパ・ド・ドウが二つ。

シルヴィ・ギエム

 1980年代の終わりに世界のバレエ・シーンに登場した彼らは、組んで踊ればだれよりも強くまばゆい輝きを放つ、無敵のスター・カップル。80年代の二人を私は知りません。多くのファンが、この二人の踊りを見ることはもう叶わないかもしれないと思っていた時の、夢の共演。

 演目は、「優しい嘘」と「三人姉妹」

 「優しい嘘」は、イリ・キリアンの振付で、この小品はキリアンが初めてパリ・オペラ座バレエ団のために創作したもの。1999年に初演された二組のカップルのための作品。初演キャストは、デルフィーヌ・ムッサン―ニコラ・ル・リッシュ、ファニー・ガイタ-マニュエル・ルグリ。オルフェウスとエウリディーチェの神話に想を得た振付。ジェルアルドとモンテヴェルディ作曲のマドリガルやグレゴリオ聖歌が使われ、舞台奈落を行き来するダンサーの一群やコーラスの姿をリアルタイムで中継した画像が舞台上に映しだされ、メインのダンサーが奈落から舞台にせり上がると実際の光景が映像にとって代わるという演出がなされた。

 「三人姉妹」はケネス・マクミラン振付、チャイコフスキー作曲のドラマティック・バレエ。「モスクワへ行けたら」と片田舎での退屈な暮らしに閉そく感を抱く人妻マーシャとその姉妹たちは、モスクワへ行くことを切望している。しかしその理想は憂鬱な現実を前にして、まるで冬の夢のようにはかなくついえてしまう。原作は、日常に潜む人間の悲劇を静かな筆致で描いたチェーホフの傑作戯曲。心理バレエの巨匠マクミランはこの題材をもとに、メランコリックで抒情的な作品を作り上げた。厳しい現実から逃れるように、道ならぬ恋にひとときの炎を燃やすマーシャとヴェルシーニンの激しいパ・ド・ドウ。

シルヴィ・ギエムの三人姉妹

 このBプロでルグリとギエムの出ている時間は、約20分~30分くらいだったと思います。ほかの1時間半は別のダンサーのパ・ド・ドウです。アニエス・ステステュ、オレリー・ジュポンはパリ・オペラ座バレエのエトワール、シュツットガルド・バレエのプリンシパルであるフリーデマン・フォーゲル、東京バレエ団の上野水香などそうそうたる顔ぶれです。

 でも、あまりにも強烈な二人のカリスマ性に、正直ほかの演目は記憶に残っていません。ルグリもギエムも、ソロはもちろん、ほかのダンサーとのパートナー・シップでもすごい強烈な輝きを発するのが、一緒に踊る。そのエネルギーの並々ならぬぶつかり合いは、寒い中会場に足を運んだすべての観客を燃え上がらせ、私は終わった後もしばらく席を立つことが出来ませんでした。この二人のパ・ド・ドウを次に見る機会があるのかもわからない、これが最後かもしれないというのも、本当に貴重な体験でした。今以上に、何年後、何十年後かに、素晴らしい時代のタイミングに遭遇出来たと、その幸運を感じることと思います。

 コンテンポラリーである優しい嘘、全幕物のパ・ド・ドウ部分を抜粋した三人姉妹。ガラ公演は、全幕もののように装置も、オケもなく、派手さはありませんが、ルグリとギエムの踊りはそんなもの関係ない、バレエとは肉体と精神で出来た芸術だというのを実感しました。二人以外に何もなくても、すべてがある。欲をいうなら、二人の全幕物を見る機会に奇跡的にめぐり逢えたらと思います。ギエムは40を過ぎて、女性ダンサーとしてはそろそろ第一線を何時退いてもおかしくない時にきています。彼女自身、バレエのみならず様々な身体表現にチャレンジしたいと、今までとは違う新たなジャンルで、次なる輝きを放ち、クラシックは今では封印したとインタビューでも応えています。

 ルグリとギエム。この二人のプロとしての本物の生きざま、決して妥協せず、芸術を追求していく高貴な精神性をこの舞台で実感しました。

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過去の公演から 4 マニュエル・ルグリの新しき世界(Aプロ)

2010.11.09

マニュエル・ルグリの新しき世界公演カタログより

 2010年の2月にゆうぽうとホールで行われたバレエ公演「マニュエル・ルグリの新しき世界」。そのAプロ「ルグリ×バナ×東京バレエ団 スーパーコラボレーション」とBプロ「ルグリと輝ける世界のスターたち」を見てきました。マニュエル・ルグリは前回のブログでも紹介したように、私が3年前に沖縄に招聘したバレエダンサー。そのカリスマ性と他を圧倒する存在感、技術力、演技力は、生きる伝説といわれ、同じ時代を生きることが出来ることをバレエファンはみんな最高の幸運と思っているような人です。

 その世界的男性バレエダンサーであるマニュエル・ルグリの世界初演の演目がAプロにて2月4日(木)に上演され、マニュエル・ルグリとパリ・オペラ座バレエ団時代に至極のパートナーシップで一時代を築いたこちらもバレエ界始まって以来のダンサーといわれるシルヴィ・ギエムとの共演が話題となった演目がBプロにて2月6日(土)に行われました。

マニュエル・ルグリのソロ

 Aプロでは、マニュエル・ルグリのソロである「ザ・ピクチャー・オブ…」が上演。

 パトリック・ド・バナによってマニュエル・ルグリのために振りつけられ2008年東京で初演された演目。鯨の鳴き声に始まり、パーセルのオペラ「ディドとエアネス」より終幕のアリア「私が地に横たわるとき」にのせて、重厚で静謐な空間を描き出す。パリ・オペラ座を退団し、新たな一歩を踏み出したマニュエル・ルグリ自身のポートレートともいうべき作品。第12回世界バレエフェスでもマニュエル・ルグリによって踊られた東京に縁の深い作品です。

 「光と影の肖像、時と空間の美しさの肖像、やってくるものの肖像、去りゆくものの肖像、そして……自分自身の肖像!」(「ザ・ピクチャー・オブ…」プログラム・ノートより)

 舞台セットも何もない、ただ一人人間の肉体と精神の限界までを使った踊りは、踊りを超えた彼自身のストイックなまでの生きざまを感じさせてくれました。頂点にのぼりつめ、そこに君臨し続けるには、並みの努力ではない、そしてそれを努力とも思っていないその精神こそが天才たるゆえんなのかもしれない。全身から発するエネルギーが会場中を包み、全幕ものの公演とは違う、ガラ・コンだからこその世界観がそこにはあります。コンテンポラリー・バレエ特有の抽象的な世界はそこにいるダンサーの本質が伝わり、マニュエル・ルグリのすごさがその5分の演目からひしひしと伝わってきました。

ホワイト・シャドウリハーサル風景。パトリック・ド・バナと一緒に

 そして、休憩をはさんで、今回のプログラムの目玉である世界初演の「ホワイト・シャドウ」。新進気鋭の振付家であるパトリック・ド・バナとともに、東京バレエ団とのスーパーコラボが実現。北アフリカ、アジア、ヨーロッパの音楽を融合させ、フランス映画界で活躍するアルマン・アマーによる多彩な音色に乗せて、力強さの中の調和、宇宙や精神性といった目に見えないものを視覚化する。「エネルギーが重要なテーマ」と振付家のパトリック・ド・バナは言っています。

 「永遠と調和、そして平和に到達するために、我々は生と死を何度も繰り返す。生と死は永遠(時の果てまで)に互いを追い続ける。組立てる……分解するために。構築する……破壊のために。     

生きるために人は自分の内面へ深く、細く、長い道をたどっていかなければならない。道しるべ(MAKHTUB)を頼りに空を見えげ、世界を見渡し、宇宙を探索する。

そして、永遠、調和、平和に到達したとき、我々が見つめているのは……ホワイト・シャドウ(白い影)にほかならない 」(「ホワイト・シャドウ」プログラム・ノートより)

 どのような作品なのか、情報がない中であけた幕。その世界観は哲学的でありながら、圧倒的な技術力で舞うダンサーたち。マニュエル・ルグリ、パトリック・ド・バナは言うまでもありませんが、東京バレエ団の日本人ダンサーたちのレベルの高さは想像以上のもの。もともとクラシックはもとより、コンテンポラリーにおいても世界的に高い評価を得ている東京バレエ団ではありますが、それにしても世界NO.1のダンサーであるマニュエル・ルグリと対等に渡り合う存在感は圧倒的。日本人特有のコール・ドの細やかさ、調和のとれた一糸乱れぬ動きは、今回の演目の中でも見ごたえ十分でした。技術力の高さからくる舞台の完成度がとにかく素晴らしく、それに精神性の深い世界が見事に融合され、見ごたえのあるコンテンポラリーの公演でした。クラシックのように、物語性がない分、コンテンポラリーは踊るダンサーによっては、独りよがりになったり、何も伝えられないということもあります。マニュエル・ルグリを支える技術力のさらに深淵にある彼自身の世界観、カリスマ性がいかんなく発揮された公演でした。

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