昨日、一昨日と梅雨が逆戻りしてきたかのようなぐずついたお天気だった沖縄。今日も午前中は曇っていますが、午後からは晴れてくるとの予報。週末の海の日の連休は、お天気に恵まれそうです。
最近読んで、素敵な言葉だなと思ったエッセイ。下重暁子「持たない暮らし」の中で
「美しいということは客観性を持つということだ。自分を客観的に見て、緊張感をもつこと。~自分しか見えていないから、だらけきっている。緊張感はなく、ほかが見えない。」という言葉。
ある一定の年齢に達した人にとって、それは男女を問わず、美とは客観性を冷静に持つということ。ただ造詣がキレイであるとか、スタイルが良いとかでは計り知れない、その人の深みや精神性がおのずと出てくる。そういう意味で、ステキな言葉だなと思いました。そして、もうひとつ。
「いつも自分に戻ること。自分を振り返ることを忘れてはならない。いま自分の言っていること、していることを自分がしっかり把握しておかねばならない」
という言葉。自分の心を映す鏡をもち、自己責任のもとに人生を歩んでいくことが、大人としての美だと。私はそう受け取りました。
本の中には、「ん??私はそうは思わないけどな…」という部分もあれば、漠然と思っていたことを言い当て妙にさらっとまとめてくれて、「そうそう、私もそう思う!!」という場合、全く知らなかったことを教え、世界を広げてくれるものなど、たくさんの言葉にあふれています。
何を受け取り、何を手放すか、全てを「あの本の中でああ言っていたから…」と受け取ると自分軸が混乱することになります。自分にとって大切なものだと感じれば受け入れ、実践する、違うと思えば、それはそれ。それこそ、下重のいう「持たない暮らし」なのかもしれません。
文庫本で小さく持ち運びもしやすいサイズ。暑い夏の昼下がりにでも、興味のある方はぜひご一読ください。
最近出会った海の写真。この日は、重苦しい雲に覆われた寒空、かろうじて雨は降っていないのですが、いつ降りだしてもおかしくないような、どんよりと湿った冷たい風が吹いているような天気。そんな中、偶然にも通りかかった初めての場所から見た、この海…。この場所は、「三天神座(みてぃんうざ)」と呼ばれる場所らしく、天と地と海のエネルギーの凝縮した力のあるスポットで、何かを始める人や、何かの要となるようなポジションの人、人生の岐路に立った時などに力をもらえる場所だそうです。
行こうと思って行ったのではなく、偶然の巡りあわせで出会うことの出来た気持ちのいい場所。
村上由佳「遥かなる水の音」も、色を感じさせる小説でした。柴田錬三郎賞、島清恋愛文学賞、中央公論文芸賞などを受賞している、人気実力を兼ね揃えた作家ですが、そこに広がる風景、登場人物の心の機微が色味を帯びて迫ってくる文体が気に入っています。
〈お願いがあるんだ。僕が死んだら、その灰をサハラにまいてくれないかな〉
という冒頭からはじまる話しで、パリで亡くなった一人の青年の遺言をかなえてあげるために、彼の姉、彼の友人のカップル、彼の同居人とが、フランス、スペイン、モロッコ、そしてサハラへと旅をする長編となっています。
その中で、亡くなった青年の姉と、フランス人の恋人との会話の中に出てくる言葉。
『いったいどこをそんなに気に入ったの』
「よくわからないけど、なんだか土地との相性がいいっていうか、自然に呼吸できるって感じなの」
『ああ、そういうことってあるよね』とアランは言った。『ねえサコ、知ってる?ゲニウス・ロキって』
「ゲニウ……?」
『ゲニウス・ロキ。ラテン語で、地霊のことをいうんだけどね。旅した先の土地にすごく惹かれるものを感じた時は、その土地のゲニウス・ロキに気に入ってもらえたってことなんだそうだよ。ほら、今のきみみたいに』 …「遥かなる水の音」より
私の出会ったあの海での出来事も、アランのいうゲニウス・ロキに気に入ってもらえたってことなのかな…、小説を読みながら、そんなことを思いました。
辻仁成というと、恋愛小説家というイメージが強く、中山美穂が主演した「サヨナライツカ」など映画化や、ドラマ化される小説も多く、これまでに読んだことのある本は、江國香織との共著的作品である「冷静と情熱の間」や「左岸/右岸」くらいでした。
でも今回読んだ、「オキーフの恋人 オズワルドの追憶」は今までイメージしていた作品とは違い、探偵サスペンスもの、しかも心理学やマインドコントロールといった専門的な分野が絡んでくる、最終章まで目が離せない内容。
オキーフの恋人は、現実の世界を、オズワルドの追憶は、現実の世界で描かれる小説が劇中劇のようなスタイルで展開していき、一冊で2度おいしい構成になっています。
その作中で展開する小説「オズワルドの追憶」は第6章から成るのですが、第5章くらいから一気に急転直下となり、こんなに大風呂敷を広げてどんな落ちで最終章を終わらせるつもりだろう…と思っていると、そこは全体を通して描かれるキーワードによって、納得の結末を迎えるという、辻仁成の筆のすごさを実感した作品です。
そして現実世界の「オキーフの恋人」のシーンでも、主人公の心象世界と、現実とが入り混じったり、破壊と再生を描いたような、読後にすがすがしい救いが感じられる作品です。
ぼくには人に言えない秘密がある。
誰にでも一つや二つは秘密があるものだが、ぼくの秘密を言葉で説明するのは非常に難しい。ぼくにはぼくにしか見えないインナーチャイルドがいる。いつからその子がいるのかは分からない。気がついた時にはすでに傍にいた。時や場所を弁えず、少女はぼくの前に姿を現し、言いたいことを言ってはふっと消えていくのだが、それがぼくにしか見えないものだから、周囲の人間たちは、誰もいない場所に向かって喋っているぼくのことを、頭が疲れ切っているものと勘違いしてしまうのだ。
ぼくは彼女に、オキーフ、という名前をつけた。(辻仁成「オキーフの恋人 オズワルドの追憶」冒頭より)
人を引きつける小説には、冒頭に力がある。思わず引き込まれる世界観、言葉運びの独特な雰囲気。その人でしか切り取ることのできない世界の断片を、この小説から感じました。