1936年ペルー生まれで、ラテンアメリカ文学を代表する小説家であるマリオ・バルガス=リョサ。2010年のノーベル文学賞を受賞している世界的作家。
1961年5月、北米と南米に挟まれた場所に位置するドミニカ共和国が舞台。31年に及ぶ圧政を敷いた稀代の独裁者トゥルヒーリョの身に迫る暗殺計画。恐怖政治時代からその瞬間に至るまで、さらにその後の混乱する共和国の姿を、待ち伏せる暗殺者の視点、独裁者の取り巻きたちの視点、独裁者によって排除された元腹心の娘の視点(これはしかも35年後の1996年からの回想という形をとっています)、そしてトゥルヒーリョ自身の視点など、さまざまな視点、時を隔てた二つの時代から複眼的に描き出す、500ページを超える長編です。
本作は、複雑怪奇な独裁者とその治世、時代にほんろうされる人々の人生の行方に絡め、一国家の政治、社会、民俗的歴史を考察するという難解なテーマにペルーの大文豪が挑み、独自の解釈と巧みな筆致で小説に仕立て上げた渾身の力作ということもあって、出版と同時に各紙誌が声を上げて絶賛。マリオ・バルガス=リョサの最高傑作と称えられています。本作品ではフィクションと事実(史実)が巧みに組み合わされ、作者の創作によるものと、実在の人物が混在しています。本書はドキュメンタリーではありませんが、だからこそかえって強いリアリティーをもって歴史の裏に隠された真実を語っているように思えてならないと訳者である八重樫克彦、由貴子両氏は述べています。
複数の視点を用いて時間を交錯させるみごとな手法、各章の目立たぬところにある伏線的な仕掛け、現代と過去を行き来するストーリー展開など、挙げればきりがないほどのさまざまな技巧の鮮やかさが研究者の間で取り沙汰されているというのも納得の大著です。私は、このようなプロットづくりをしている作品が大好きで、日本人の作家にはあまり多くないような気がします。このような複数の視点、時空を行き来する展開が面白い日本人作家は村上春樹。でも、このような世界観で描き出す作家は、外国の作家に多い気がします。最近読んだアダム・ファウアーの「数学的にありえない」は、主人公の行動という軸と、量子力学、物理学の知識的解説という軸、作品自体の軸と、いくつかの視点から描かれていました。
マリオ・バルガス=リョサがつねづね主張しているという現代社会における文学の役割。
「小説のなかで異なる文化や価値観の出会いとそこから生まれる葛藤を表現することで、読者の人間性に対する理解を深め、良識や感性を養い、現実に起こっている問題を自身の問題として受けとめられるよううながし、自分の主張のみが正しいとする狂信主義へと人々が傾くのを阻止する―それが、現代に生きる作家としてのみずからの使命である」と著者は考え、作品を通じて世界中の読者に訴えつづけているといいます。
たしかに、今までドミニカ共和国が世界地図のどのあたりにあるかも漠然としか知りませんでしたし、このような独裁者による圧政が強いられていたと初めて知りました。それは歴史的事実であるだけではなく、そこに人間の葛藤や苦しみ、醜さ、尊厳の破壊など生身の感情がある。小説はそのような当たり前ではあるけれど忘れがちな歴史のなかの感情をまざまざと感じさせてくれます。どんな本もそうですが、100ページくらいまで読むのはプロローグで結構つらい。でも、そのくらいまでくると、小説の世界観に引き込まれ、あとはすんなりと読むことが出来ます。ぜひ手に取っていただきたい1冊です。