一言で説明するのはとても難しい。
現実の世界と、精神世界と言うか、観念の世界を行き来するし、簡単にいえば、幼少期に母親が失踪し、
父親に愛されなかった少年が15歳の誕生日に家出をし、そこから、広い世界を見ていくという感じだけど、
こんな風に書くと、全く面白くない。あの村上春樹の世界観を私が表現することなんて出来ない。
上下巻のこの小説の中から気に入ったフレーズを。
…「じゃあひとつ訊きたいんだけど、音楽には人を変えてしまう力ってのがあると思う?
つまり、あるときにある音楽を聴いて、おかげで自分の中にある何かが、がらっと大きく変わっちまう、
みたいな」大島さんはうなずいた。「もちろん」と彼は言った。「そういうことはあります。何かを経験し、
それによって僕らの中で何かが起こります。化学作用のようなものですね。
そしてそのあと僕らは自分自身を点検し、そこにあるすべての目盛りが一段階上にあがっていることを
知ります。自分の世界がひとまわり広がっていることに。僕にもそういう経験はあります。
たまにしかありませんが、たまにはあります。恋と同じです」…
こういう感性を持って生きるのはすごく生きやすいことだと思いました。
毎日同じことをしているように感じがちですが、実際には同じ毎日はありません。そう言われても、
やっぱり同じ毎日、退屈に思ってしまうのが人間。でも、同じ毎日でも、上記の言葉のように世界を見ていると
なんて、世界は広いのだろう。自分のいる場所でさえ、分からないこと、発見が多いことだろう。
幸せは目の前どころか、手のひら、頭の上のメガネのようにあって、気付いていないだけなのかもしれない。
気付いたときに、「すべての目盛りが一段階上にあがっている」ことを実感できるのかも。
と思った、フレーズでした。
を最近読み終えました。村上春樹の作品の特徴は、読み終わった後に、現実と小説の
境目が分からなくなって、ぼーっとしてしまうこと。
海辺のカフカの話は、1Q84のパラレル世界を描いているような気がして、
世界は、私たちが過ごしている何気ない日常の世界と、そこから少しだけずれてしまった、
海辺のカフカの世界、そして、この2つの世界とねじれの関係になっている1Q84の世界という風に、
すべては少しずつずれているけどでも動いている世界という風に感じました。
海辺のカフカの中からお気に入りの言葉を。
「…相互メタファー。君の外にあるものは、君の内にあるものの投影であり、君の内にあるものは、
君の外にあるものの投影だ。…」
この言葉の後には、もっと哲学的な深く暗い話が続くのですが、私はこの言葉をとても前向きに
受け取りました。つまりは、自分が居心地がいい、楽しいと思う生活だと実感しているのは、
自分の精神が作り出したものだし、自分が幸せ、楽しい、満足と思うのは、現実世界にも必ず反映する。
話の内容は、こんな簡単な前向きな話ではないし、
この内容からはそういう風には受け取るべきではないかもしれないけど、
村上春樹の紡ぎだす言葉は、趣があり、表現に深みがあります。
他の人も似たようなことを言っていますが、村上春樹の小説の世界観から受け取る言葉は
それよりもさらに深い世界を感じさせてくれます。
自分に似合う色をさがすのは案外難しいこと。
好きな色=似合う色 というわけでもないし、
そもそも似合うとはどういうことかが難しい。
似合うとは、その色味が映えて、雰囲気にマッチすると
いうことだと考える。
肌色がオークル系で、自然な日焼けくらいの赤みがかった肌質の場合は、
一般的に言って、やわらかなパステル系の色よりも、
もう少しはっきりした色味、例えばパステルブルーよりも紺色、薄いパステルイエローよりも
オレンジ色や、だいだい色のほうが似合う場合が多い。
大切だけど、時間がたった後にくすまないか
どうかも、重要なポイント。
ブルー系やシルバー系のアイシャドーは、人間の
肌色にもともとない色味なため、時間が経過すると
肌から浮いてくすんだ疲れたような眼元になる場合も
あるので、注意が必要。腫れぼったい印象になってしまったり
という場合もある。
肌の色だけでなく、髪の色によっても変わってくる。
明るいカラーで着るブラックと、黒髪に着るブラックとでは、
印象もまるで違う。全身でコーディネートするときは、
例えば、今日はカラーを中心に考えようとか、今日はヒールの高さに合わせたコーデをしようとか、
何かポイントを持つとやりやすいかもしれない。