沖縄ウェディング プロデュース 「Love Baile(ラブバイレ)」

子(しー)の会 組踊公演「手水の縁」

2011.01.16

荒れ模様の沖縄地方 万座毛から

 昨日から始まっているセンター試験ですが、全国的にかなり冷え込んだ荒れたお天気になってますね。沖縄も昨日の天気予報では昨日は暖かい予定でしたが、昼過ぎからの雨で一気に冷え込み、今日は寒い一日になっています。急に雨が降ったり、風が強かったり、外に出かけるのが億劫になるような冬の天気が続いています。上の写真は、昨日久しぶりに行った、恩納村、万座毛。冬に行くことはほとんどないのでこんなに風が強いと思わなくて、沖縄じゃないような荒れた波でした。でも天気が悪い割には、海の色はとてもきれいで、時折見せる太陽が現れるとさらに海が輝きました。とはいっても、その後はどんどん天気が悪くなり、どんよりした雲に厚く覆われて、海の色もだんだんくすんだグレーになっていきました。

 そんな寒い冬ですが、すてきな舞台の情報をお知らせ☆

沖縄県伝統芸能公演 組踊「手水の縁」

 わがラブバイレとも契約している、沖縄を代表する若手実演家集団が所属する組踊集団「子(しー)の会」が出演する組踊「手水の縁」。世界遺産に登録されここ最近、世間の注目を集めつつある組踊ですが、一般には見ては見たいけれど、よく分からないにどの舞台を見たらいいのが分からないというのが本心だと思います。伝統芸能は、やっぱりテンポもゆっくりだし、派手な何かがあるわけではないので、最初に見たのが??な舞台ではきっと二度と見ないと思います。そういう意味では一番最初にどの舞台を見るかは好きになるか、嫌いになるかのとても重要なポイントだと思います。

 この子(しー)の会は、国立劇場おきなわにて3年間の組踊の実技・講義を学んで修了した、組踊のスペシャリストによる実演集団です。20代~30代の若手メンバーですので、華がありますし、見ていて何より、目にも耳にも美しい☆今回の演目「手水の縁」(てぃみじのえん)は、組踊では珍しい恋愛物語で、内容もドラマティック。組踊はもともと琉球王国時代には男性によって上演されており、今回も出演者はすべて男性。これは、宝塚の逆だと考えればいいかもしれません。内容は、川で髪を洗っている女性に一目ぼれした男性が、女性に「手水を飲ませてくれ」と迫るところから始まります。この「手水を飲ませて」ですが、ひしゃくとかを使わずに、女性の手で組んだ水を女性の手から直に飲ませてほしいという意味。現代で言われても、見ず知らずの男性にそんなことできないのに、琉球王国時代にはもちろんあり得ないお願いで、女性は断ります。でも男性が、それでもあの手この手で迫って、手水を飲ませてもらいます。これが縁で二人は恋に落ち、もう一度会うことを約束して別れます。そして密会の場所は、彼女の家…。そりゃあ、もちろんばれてしまって、嫁入り前の娘に浮き名がたつことを許せない父親の命令によって、処刑されることになります。処刑の浜辺で今まさに父親の家臣であり彼女を幼少からお世話してきた家来に処刑されるというときに、男性が現れて、彼女への深い愛情を伝え、それが胸に届いた家来たちは二人を逃がしてハッピーエンドになる!!というディズニーアニメのようなお話です。

 主人公の男性(山戸という役名です)に佐辺良和さん、女性(玉津という役名です)に金城真次さん。この美しい二人の山戸と玉津を見れるだけでも至極です!!「手水の縁」は上演回数もそこまで多い作品でもないので、(特に納得のいく配役では☆これは重要です)この機会にぜひ足をお運びくださいね!!

 2月11日(金)公休日です☆午後7時開演(6時半開場)、国立劇場おきなわ小劇場にて。チケット前売り2000円(当日2500円)。会場が小さく250席しかありませんので、お早めのチケット確保がいいです!!プレイガイドは国立劇場おきなわチケットカウンター(098‐871-3350)。もし県外の方や、買いに行くにはちょっと…という方は、ラブバイレ(098-988-9142)までお問い合わせください☆

出演者の皆さんです☆

 

お電話はこちら:090-1941-8853

沖縄を感じる一日(下) 喜劇の歌舞劇「真夏の夜の夢」

2011.01.08

とにかく面白かった舞台!!

 以前新作組踊「十六夜朝顔」という舞台を一緒に作った、嘉数道彦さん脚本・演出の舞台「真夏の夜の夢」を、写真展の後、見に行ってきました。昨日の真夜中近くに、出演者の一人の金城真次さんからお電話をいただき「絶対見に来てくださいね」と念を押されたので、かなり良い作品に仕上がっているのだろうなと思ってはいたのですが、期待以上で、最近の舞台では一番楽しめるものになりました。

 組踊でもない、沖縄芝居でもない、新劇や現代劇すべてをチャンプルーにしたと言い切る嘉数さんの演出が私は大好きでした。今の若い人ではなかなか話せないであろうウチナーグチで、沖縄の土着の色をきちんと出せる、阿嘉修さんをはじめとする出演者の沖縄の色。ステレオタイプの沖縄ではなく、沖縄にしか出せない沖縄の空気感。ウチナーグチが分からない若い人に見てほしいという嘉数さんの思いでしたが、かなりのウチナーグチで方言が分からない人には言葉が分からないこともあったかもしれませんが、私にとってはとにかく爆笑の連続の舞台でした。このぐらいの方言を話すのは難しくても、同世代が聞くことだけでもできれば、これからの沖縄の文化は明るいと思います。良い舞台があっても、見てくれる観客がいなくては、舞台は成立しないもの。今回の公演は、字幕もなかったので、まったく方言の分からない人には、英語のミュージカルや演劇を見てみんなが笑っているけど、自分だけ???みたいなことになったと思います。心を伝える言葉の面白さ、これは、フィーリングなので、どんなに字幕になっても伝わらない生のキャッチボール。客席の反応でさらに面白いものを返す、役者の演技力が存分に発揮された舞台でした。

 1月9日(日)14時開場、15時開演、沖縄市民小劇場あしびなーにて明日も行われますので、興味持たれた方はぜひ足を運んでみてください。その時は、14時半には会場に着くようにするとお薦め!!開演前に出演者と嘉数さんによる祝儀舞踊「かぎやで風」および、口上を聞くことができます。それも、舞台のプロローグとしてとてもステキな演出でした。ぜひそこから見ていただけたらと思います。

 沖縄を感じる写真展、舞台の一日になりました。

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沖縄を感じる一日(上)母たちの神 比嘉康雄展

2011.01.08

展覧会ちらしより

 沖縄県立博物館・美術館にて2010年11月2日~2011年1月10日(月)まで開催されている写真展覧会「母たちの神 比嘉康雄展」を見に行ってきました。今日の沖縄は暖かい晴れの天気で、気持ちのいい青空。そんな中、会期が明後日までと迫った気になる写真展をやっと見ることができました。

 比嘉康雄(ひが・やすお)は、1968年のB52爆撃機の墜落事故をきっかけに、警察官の職を辞して、写真家となりました。激動期の沖縄を象徴し、戦後沖縄を代表する写真家の一人と言えるでしょう。初期には、沖縄の社会的な現状に目を向けましたが、宮古島の祭祀との出会いに衝撃を受け、琉球弧の祭祀世界ー沖縄の古層に、沖縄人の生活・文化の根となる思想を求めていきました。本展では、比嘉が生前に出版のため編纂した「母たちの神」-琉球弧の祭祀を網羅した写真群ーを中心に紹介しながら、比嘉康雄が求めた思想を芸術、民俗、哲学などの各方面から、多面的に検証いたします。(チラシより)

 写真展は6章立てに構成されていました。1章「神迎え(かみんけー)」、2章「神崇め(かみあがみ)」、3章「神女(かみんちゅ)」、4章「神願い(かみにがい)」、5章「神遊び(かみあしび)」、6章「神送り(かみうくい)」となっていました。100点を優に超える写真は、沖縄の基層信仰に触れる存在感でした。

 1章「神迎え」:琉球弧の島々では、死後の魂(マブイ)はニライカナイ(多くは太陽の昇る東の海のかなたにあると信じられている他界)へ還ると信じられ、祖先の魂は現生の人間を守護する神(祖霊神)と考えられています。神にはこのような祖霊神と、森や井泉などに宿る自然神がおり、祭祀はそれら神々を迎えることから始められます。祭祀の始めに、神女たちは、長い祭祀で1週間ほど御獄(ウタキ)や杜に忌み籠り、その後神迎えの儀式が行われます。神迎えによってニライカナイから迎えられた神々は、御獄や拝所の神木などに宿り、やがてその魂が神女たちを中心に、神々が大きなユー(世=幸、豊穣)をもたらすことを願い、祈りを捧げます。

 2章「神崇め」:神迎えによって来訪した神々は、神酒や供物の歓待を受けます。神人(カミンチュ)たちは、数日にわたり御獄に籠もることもあります。そこでは、神謡(ティルルなど)や御祟(おかたべ)によって神々を讃え、シマの創生からの物語などが謡われます。祭祀によっては、行列や円陣を組み、踊り、時に手拍子や太鼓を打ち鳴らし、神々が、来訪した歓びを表現します。それに伴って神々のセジ(霊力)はいよいよ高まり、セジの依りいた神女の中には神がかり(トランス)状態となって、神口(ご神託)を唱える者も出現します。時にはその状態が高じ、神女が卒倒するケースもあります。

 3章「神女」:琉球弧の祭祀はムラ(シマ)を単位に行われます。その多くは女性(神女)を中心に行われ、男子禁制の御獄や拝所も多く存在します。シマによっては、女性が一定年齢に達すると、儀式を経て神女になるという伝統もありました。久高島の有名なイザイホーがその代表的な儀式です。女性が祭祀の中心となる理由の一つに、琉球弧に見られる「オナリ神信仰」があります。姉妹(オナリ)の霊力が兄弟(エケリ)を守護するろいうこの信仰は、琉球王国時代には国家祭祀の中にと取り入れられ、王の姉妹である聞得王君(きこえおうきみ)を頂点に、島々にノロ(地域によってはツカサ)を配する「ノロ制度」と呼ばれる神女制度が布かれました。1879年の琉球処分によって祭祀制度の多くは廃止されましたが、その一方でシマジでは、ノロ(ツカサ)や神女たちによって続けられている祭祀も今日まで存在します。

 4章「神願い」:琉球弧では旧暦を中心に、一年を通じ様々な祭祀が行われます。島人たちは家庭や地域でそれらに参加し、神酒や線香、塩や花米、作物など様々な供物を神に捧げ、健康祈願、豊穣祈願、子孫繁栄、ムラやクニの繁栄など、それぞれの祈りの言葉や神謡で神に祈願します。主要な祭祀に、正月、麦祭祀(3月)、稲祭祀や海神祭(5月)、ウマチー(稲の収穫儀礼、6月)、お盆や豊年祭(7月)、十五夜(8月)、種取祭(9月)、結願祭(10、11月)、年の夜(大みそか)などがあります。さらに神願いには、3年周り、7年周り、12年周りなど、数年ごとに行われる特殊な例もあります。沖縄本島北部のウンジャミやシヌグ(2年に1度)、久高島のイザイホー(12年に一度)などが、その有名な例です。

 5章「神遊び」:神と神女が一体となって神への願いを届けたのち、祭祀は終盤へと向かいます。神女たちは「あけづ(とんぼ)遊び、はべる(蝶)遊び」などを神々と共に舞い踊ります。そしてそれまで厳粛に祭祀を執り行ってきた神女たちが緊張状態から解放され、打ち晴れの神遊びを行います。イザイホーの最終日、神女たちが静かに舞う様を、比嘉康雄は次のように記しています。「久高御殿庭でのグゥキマーイは、イザイホーの最終演目ということもあってか、終始感動的であった。(中略)神女たちはこのティルルと渾然一体となり、さびしさと哀しさが入りまじった表情をしている。とくにナンチュは今にも泣きだしそうだ。」「ナンチュたちが、長い不安と緊張から解放され名実ともに一人前の久高の女になった喜びを顔一ぱいにして舞う。」神遊びは祭祀の頂点、クライマックスであり、神々を無事迎え、願いを成し遂げた神女や島人たちの解放感が、豊かに表現されます。

 6章「神送り」:祭祀の最後に、神女たちを先頭にして神送りが行われます。祭祀の間中、シマ人たちから様々な歓待を受けた神々は、やがてニライカナイへ送られて行きます。神送りは、神迎えをした場所や、村外れなどで静かに行われます。シマ人たちは、神々と別れる事を悲しみながらも、また次の祭祀には神々が来訪する事を祈ります。神々との名残を惜しむ神謡なども奉納され、神々もシマ人との別れを惜しむ所作を繰り返しながら、御獄や神山、ニライカナイへと還っていきます。(母たちの神ー比嘉康雄展 解説文より)

久高島のイザイホー

 神を迎える用意として行われる「物忌み」の習慣。これは、平安時代を中心に貴族の中で行われた習俗の一つです。家内におこった災いを封じるため、門を閉め、居に籠もる(閉門籠居)をその中心とし、物忌みの行われる理由には様々なものがありました。現代にも通じる口舌物忌み(くぜちものいみ)もその一つで、人の蔭口や悪口などの風評被害を避けるために、物忌みをしたり、とにかくわが身に災いが降り注ぐことを極端に恐れて、物忌みという習慣は貴族の生活の中心になるほど大きな影響力を及ぼすものでした。しかし、物忌みと言う習俗は、もともとは神と対峙するときに、自分の身に穢れがないように払い、禊をし、神聖なる身で神に向き合うという祭祀習俗でした。その平安の初期に日本で廃れた、物忌みの根源なる習俗が、沖縄の近現代まで実際に残っていたということが今回の写真展で分かり、衝撃を受けました。中央に近付くほどに失われて行く古い習慣、文化。それは、沖縄においても離島や北部にしか、大きな祭祀世界が残っておらず、首里に近い地域の写真がほとんどなかったことからも伺えます。沖縄の中央と辺境。そして日本の中心から離れた所に位置した島嶼環境が遺した文化遺産。でも、現在の世界の環境は、ネットやバーチャルの普及により、中央も僻地も何もない。いっしょくたでスピーディーで一見便利な時代に、失ってはいけない精神のあり方を垣間見た気がします。

 時間がある方は、明日、明後日までやってますので、ぜひ見に行ってくださいね。言葉では表現できない空気を感じます。写真展の行われた美術館の空間も、どこか寒くて、気を感じるちょっと異様な感じがしました。写真から伝わる神の気なのかもしれません。

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