沖縄ウェディング プロデュース 「Love Baile(ラブバイレ)」

百人御物参(ももそおものまいり)

2014.01.26

首里城で行われた神聖な祭祀行事の初の再現。

2014年の1月25日(土)・26日(日)に首里城にて行われた百人御物参(ももそおものまいり)という祭祀行事の再現。今回、首里城にて正殿裏手の「御内原(うーちばら)」の一部が新たに開館し、その記念イベントとして行われました。私は縁あってこのイベントで作事あむ(さじあむ)という神女の役をやらせていただきました。

百人御物参(ももそおものまいり)とは、神女たちが首里城及び周辺の聖域をお参りする行事であり、類似の行事を含めると、年間に6回程度(つまり2カ月に一度の割合で…結構多く感じます)行われていました。御獄(うたき)では国王の長寿とその子孫の繁栄、航海安全、国土の安全、五穀の豊穣を祈願。御獄や聖域を巡拝する行事は、首里城だけでなく、琉球全土で行われていました。

百人御物参(ももそおものまいり)に参加する一行は、三平等(みふぃら)の大あむしられと呼ばれる上級神女を中心とする神女9名と、王府の役人21人、総勢30人で構成されていました。三平等とは、首里城が位置する首里地域の行政区域の総称で、大あむしられとは、それぞれを管轄した上級神女のことです。首里城及び首里地域の祭祀行事を担当するほか、琉球全土の神女を統括する役割も持っていました。掟あむ(うっちあむ)・作事あむ(さじあむ)という、大あむしられを補佐する神女の一人をやらせていただきました。

真っ白の胴衣・下袴(どぅじん・かかん)に真っ白の打掛、頭は女髪に同じく真っ白のサージ(イメージは、浜千鳥の紫色の頭に結ぶはちまきが白になったようなもの)を巻いて、結び目はすべてサン結び、首からは大きく重たい水晶とヒスイ?できた勾玉のネックレスをつけました!!なかなか出来ない装束に、気持ちもしゃっきりと!!なんだか神々しい気持ちになりました。この衣裳で、首里城内の、首里森御獄や、京の内を巡拝します。しかも、リハーサルは首里城の閉館した後の夜の御獄や、開演前の明け方の首里城で行われ、年明けの1月から、なんとも贅沢な祈りの時間を過ごさせていただきました。

また上級神女の大あむしられの衣裳はというと、山吹色(黄色)の胴衣に、白の下袴、麻の打掛、同じく勾玉のネックレスを付けるのですが、私達よりももっと大きなものでした。そして、髪は女髪に、金の大きな(王妃がつけるような)ジーファーをさし、白のサージは付けていませんでした!!今度集合写真をアップします☆

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琉球八社のひとつ 普天間宮

2012.03.15

初詣にいつもお世話になる普天間宮

昨日、プライベートで用事があり昼間の普天間宮へ!普段、初詣にしか行かないので、昼間にしか入ることのできない鍾乳洞の見学もでき、身近なところの神秘に感激☆

その鍾乳洞は奥宮とも呼ばれ、昔の普天間権現時代の阿弥陀・薬師・聖観音を象徴する自然石三体を安置しているそうです。洞穴の入り口に、生殖器を象徴する陰陽石が古くから置かれているそうですが、どれがそれだったのかは確認できませんでした。

普天間宮の創建時代は明らかではないようです。縁起として、観音霊験譚と、美女の神隠し譚があると普天間宮の資料展示室にありました。美徐の神隠し譚は、首里桃原の美女は人目を避け家に閉じこもっていたが、妹の夫に姿を見られたので家を飛び出し、普天間の洞穴に入り消えた。人々は尊んで神とし、参拝して福を祈ったそうです。

1644年から国王の巡拝地となり、庶民の参拝者も増え、鹿児島への航海や出漁など海への出の場合にも拝まれたようです。

廃藩置県の際に普天間宮と改称し、現在は本殿にイザナミ・ハヤタマノオ・コトサカノオ・天照大神が祀られ、洞穴には土着の神々である日の神、竜宮神・普天間グジー女神・天神・地神・火ヌ神・子授け神・十二支ヌ神も合わせて祀られているそうです。

確かに、美女神隠し譚は、天照大神の古事記の伝説に類似する点がありますし、普天間宮に昨日行ってみて、宮司さんが日本古来の神道でお祓いしている傍で、ウガミをしている光景など、八百万の神が当たり前に共存しているあり方は、とても自然で柔軟な情景だと感じました。

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琉球八社の筆頭神社「波上宮」

2012.03.07

琉球第一の神社

琉球八社とは、波上宮、末吉宮、識名宮、沖宮、天久宮、八幡宮、普天間宮、そして金武観音寺を指します。従来は、金武観音寺には役棒がなかったためか、金武観音寺を外して琉球七社と呼ばれていたようですが、いつのころからか金武観音寺も含めて琉球八社と称するようになったといいます。

その首位として琉球王朝時代に、他の七社を管理していた「波上宮」。察度王(さっとおう)の庶子と伝えられる崎山里主(さちやまさとぬし)は崖の上に霊石(陽石)を安置して宮を建て、権現を祀ったそうです。波上宮の下方には洞穴があり、宮には戦前まで陽石が置かれていたといいます。洞穴を女陰とみる説や、穴を通して海へ通ずるニライカナイ信仰とみる説などがあるようです。

祭神は「イザナミ」(開闢の女神)、「速玉男(ハヤタマノオ)」(約束を固める神)、「事解男(コトサカノオ)」(解決の神)の三神で、これらの神は仏の化身として、阿弥陀・薬師・観音の三仏像も祀られています。権現とは、仏が神になって権りに現れることを指します。その昔は、波上権現とも呼ばれ、宮を守るための寺(護国寺)が併設されました。

波上は端城(ハナグスク)ともよばれ、端にある聖地として権現社以前から民間信仰の霊場でもあったようで、土地の力の非常に高い場所といえます。

琉球古来の神が宿る聖地で挙げる神聖な挙式

そんな琉球古来の聖地である古式所縁のある場所での挙式は、地の力や、土地の神も祝福してくれているような神聖で厳かな雰囲気☆和装での挙式はもちろんのこと、琉球王国とのいわれから「琉装」での挙式もお薦めしたいところです☆

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