中国が起源とする風水思想では、天地間のあらゆるものは、「気」というエネルギーのようなものによって生み出されると考えられています。気を発する主山、気を運ぶ龍、気の集まる龍穴、気を守るうねった山並みの砂、気を蓄える水(河川や、湧水、もちろん海も)が一番いい土地を選んで、村落や墓、家の場所を決めたといいます。気が影響を及ぼす龍穴の地を「明堂」というそうです。
つい先日、この内容を新聞記事でたまたま目にして私自身の中で納得したこと!!「私は今、気=エネルギーを蓄える時期なんだ」ということ。というのも、やけに水場に行きたくなるからです。森や城跡のような場所に行ってもなんだかしっくりこなくて、落ちつかない。でも湧水のある場所や、海に行くと自然と落ちついて、何もしなくても何時間もあっという間に過ぎてしまいます。暑いから、水場は冷たいし風も心地いいからというだけかもしれないけれど…。でも気持ちいいというのが何よりも私の中の核になる部分が欲しているものなのかなあ…なんて思います。
気は、水に蓄えられ、砂でさえぎられ、風で散る。北に主山、南に水があって四方を砂で守護された明堂は、理想的な土地といわれていますが、確かに気持ち良さそうな風景が目に浮かびます。そのような土地に限りなく近づけて発展したのが、琉球王国の「首里城」です。弁が嶽を北にある主山と見なし、(というのも、実際は東にある弁が嶽を北に見なすために尚巴志王は方位を時計回りに90度進め那覇の海を南と見なしたそうです。なんだか、むちゃくちゃな気もするのですが、それで発展したのだからきっと良かったのでしょうね。私も勉強不足でまだよくわからないことだらけなので、正しい理由がきちんとあったのだと思います。)首里城の正殿を龍穴、那覇の海を南に、周囲を砂で護られた(近くは雨乞いの丘、遠くは島尻の連山、中頭の連山、那覇の海を囲む慶良間列島まで、東西南北を砂に囲まれた)理想の明堂となりました。
首里城の向きはこうして風水に基づいて、一番いい気で満ちるように、自然の恩恵を最大限取り込む形でつくられたといいます。
雲の形がまるで、気を運ぶ龍のようです。そういえば、池上永一「テンペスト」(仲間由紀恵さん主演ドラマ原作)の中でも、主人公が生まれた夜に稲妻とともに龍が登場します。そして、首里城の正殿にも龍のモチーフは数多く見ることができます。
苔にピントをあてると、水による生命の営みの優しさで成長している空気を感じます。水、川や海は、常に女神と同一視されます。女性の中にも生命を育ていつくしむ海があるのですから、当然なのかもしれません。
台風から1週間。久しぶりに訪れた、浜川御獄。ヤハラズカサに降り立った琉球の創生神アマミキヨは、北側の岩山にまず仮住まいをした。湧水が豊富なことから、浜辺にある泉という意味で「浜川御獄(かまがーうたき)と呼ばれたと言われている聖地です。
こんなにも美しく、清浄な雰囲気の場所が…
こんな風になってしまいました。今までは普通に通ることのできた道も木々にさえぎられて通ることが出来ません。
普通の幹線道路を走っていて、確かに台風の被害は目にしてきましたが、まさか拝所がこんな風になっているとは思いもしなかったので、体が震えるほど驚きました。想像できない風景です。写真で見てももちろん伝わるとは思いますが、生で見た衝撃は写真には残せないようです。
海辺のこの環境ではきっとこの長い歴史の中で何度もこのようなことがあったのでしょう。自然は破壊もしますが、創造もします。私たちが今まで見てきた風景も破壊の後の創造の景色だった…。これまでもこのように様々な自然災害、沖縄では台風が多いですが、によって風景が変わってきていたのでしょう。でも、これまでは意識して見ていないので全く覚えていません。目の前で起こっていることでも、気付いていないこともたくさんある。そこにあるということに気付けたとき、少し世界が広がったような。
自然に起こることには、続きがある。でも人口で起こしたことには…。それは、東日本大震災の、地震と津波から立ち上がることはできても、原発という人間の生み出したものによる復興が難しいことにも言えるような気がします。
昨日、お仕事で金細工またよしの健次郎さんの工房におじゃましました。その時に、わたしがずっと疑問だったことを質問しました。
「士族の女性がつけていたというのは良く聞きますが、王妃をはじめとする王族の女性はつけなかったのですか?」この質問への答えが、上の黄金の房指輪です。王妃も房指輪をつけていて、その指輪は、銀ではなく、金だったとのことです。はじめて見た、純金の房指輪。重さは、銀の房指輪の約2倍あり、指にずっしりとした重みがあります。身分によって、金→銀→真鍮と使う素材がきちんと決まっていたといいます。また、忌中などの忌むべき期間には、王妃であっても身体から金属類の装飾品は一切外して、金のジーファーも、木製のジーファーになったと聞いて、その精神性や、民俗性を垣間見た気がしました。
手につけるとこんな感じです。こんな感じで、両手の中指につけます。昔は、房指輪の7つのモチーフの他にも、カメなど、吉兆を象徴するモチーフを購入者の要望に応じて作ってくれていたとの話もあるそうです。お金持ちの商屋の薬屋の娘さんは、実家に里帰りするたびに、房指輪を新調し、なんと一人で4セットも持っていたと言います。現存する古い房指輪は沖縄県立博物館や、那覇市歴史民俗博物館にあるということのなので、近々実物を見に行きたいと思います。
王妃がつけていたという金の房指輪(もちろん復元ですが)に触れる事が出来て感動☆