沖縄ウェディング プロデュース 「Love Baile(ラブバイレ)」

南紫音(みなみしおん)ヴァイオリン・リサイタル

2011.07.05

公演パンフ☆

 先週の土曜日の19時から浦添市てだこホールにて行われた「南紫音ヴァイオリン・リサイタル」知り合いの方から、とっても良い演奏をするからぜひ見に来て!!と誘われて見に行った公演ですが、本当に良かった☆☆沖縄ではもしかしたら初かもしれないイザイの無伴奏ヴァイオリン ソナタ作品27の1番~6番までの全曲の演奏!!

イザイの曲はこんなイメージ

 イザイ・ウジューヌは1858年のベルギー、ブリュッセルの生まれ。日本でいうと幕末の時代。演奏史の中のイザイの位置づけとしては19世紀からの伝統を継承しながらも現代化し、そして20世紀のヴァイオリン演奏を開拓した人物といわれています。イザイは、演奏家として名をはせた人物ですが、ヴァイオリンをメインとした曲も少なくなく、今回演奏された作品27もヴァイオリン演奏のレパートリーとして定着しつつあるといいます。第1番~6番までの全6曲は、それぞれ当時の一流のヴァイオリニストに捧げられたもので、一曲ごとに異なるコンセプトを持ち多面的な世界観を持った作品と紹介されていました。没年は1931年、世界恐慌の2年後、日本でいうと満州事変が勃発した年にあたります。

イザイの曲は一日の中でいうと夕方のイメージ

 無伴奏のヴァイオリン演奏なので、眠くなっちゃうかな??と思ったのですが、それは杞憂に終わりました。演奏者の南さんの音は、深く広がりを持ち、オーケストラ曲のような音の厚みが、ヴァイオリン1本での演奏というのを忘れさせるくらいの雄大さを感じさせました。ヴァイオリンのみの演奏なので、ピアニッシモになったときの弦の震え、クレッシェンドになったときの音の反響などの音の色合いがとても明確に見えて、ヴァイオリンのもつ魅力を再発見したような演奏でした。

優しさの中のメランコリックな印象を与えた南さんの演奏

 イザイの曲も、南さんの演奏も一日の中でいうと夕方の印象を持ちました。優しくてでもどこかせつなくて寂しい。意味もなく泣きたくなるような、メランコリックな情感。でも、力強さもあり、よわよわしい印象はありませんでした。

夕暮れ時にしか醸し出せない独特の時空間

 そのほかには、シューベルトのアヴェ・マリアを、東日本大震災の被災者の方々へ向けての想いを込めて演奏し、ラストは私の大好きなバルトークのルーマニア民俗舞曲を演奏しました。19世紀末から20世紀初頭にかけての音楽も絵画も、デザインもとても好きな私は、イザイであったり、バルトークの演奏はとっても大好き。この時代になると芸術全般に民俗的な息吹が出始め、特にストラヴィンスキーであったり、シェスタコーヴィチであったり、チャイコフスキーであったりと、ロシアの演奏家が数多く生まれます。この烈しく暴力的なまでの音楽の洪水が、胸に響き、あがらうことのできない魅力を感じます。

 アンコールは、ドビュッシーの亜麻色の髪の乙女と、イザイの曲(南さんの声が小さくて、曲名が聞き取れませんでした。会場も一瞬ざわめき、えっなんて曲??というささやき声が聞こえました)でした。どちらも優しく甘い音に丸みがある演奏でした。特にイザイの曲が好きでした。南さん自身もイザイは大好きな作曲家で、今回初めてイザイの無伴奏全曲をやって、とても長い旅に出て戻ってきたような、達成感、と言っていたのできっと彼女の演奏と、イザイの曲はあっているのだと思います。彼女の演奏で初めてのイザイの全曲を聴くことが出来て幸運でした。個人的にいえば、ドビュッシーの曲は、一番ベルガマスクの月の光が好きです。沖縄で月を見ながら思うのは、沖縄の月は、ドビュッシーの月の光や、ベートーベンの月光のような、肌に突き刺さるような鋭い痛みを伴う情景の連想とは全く違うということ。月の光や月光の曲は、やっぱりヨーロッパの古城と針葉樹との間から寒々しい空気を含んだ、どこかに喪失感を持つイメージがあります。沖縄の月は、やっぱり、「月のかいしゃ」が一番似合う。その土地に根差すものなんだなと、南さんの亜麻色の髪の乙女を聴きながら、連想ゲームのように様々なことをふと思いました。

お電話はこちら:090-1941-8853

西の空、沈む夕日と三日月

2011.07.04

沈む太陽、19時過ぎ

 日曜日も暑い一日でした。昼間は日差しも強くて、照りつける紫外線からかくれるように歩いていましたが。夕方になると涼しくなり、特に海辺では本当に気持ちの良い風が吹いて思わず眠ってしまいました。

水平線へと吸いこまれていく…

 久しぶりに水平線付近に雲がなく、海へと沈む太陽を見ることが出来ました。

徐々に沈みゆく太陽

 太陽と、雲、そして海その色彩や形のコントラスト。

言葉に出来ない…

 きれいに沈んだ水平線をうつらうつらしながら見ていると…。

西の空に…

 西の空に、三日月が…。

カメラの中ではまん丸な形もわかります

 こんなとき沖縄という空間にいることに感謝です。台風で枯れてしまった木々も、草も新たな息吹を見せて、今沖縄の緑は、例年とは違い少しだけ薄黄味色がかったやわらかな緑色をしています。普通でしたら、7月の緑は色があまりにも強すぎて、暑苦しい印象を与えるのですが、今年は緑を見ると少しだけ涼しげな気分になります。このブログをよんでいる沖縄以外の方が、興味を持って沖縄に来てくれると嬉しいな☆

お電話はこちら:090-1941-8853

本を読む。②

2011.07.02

本を読む。①につづいて…

 本を読む。①に引き続いての、著書は、ロス・キング「謎の蔵書票」。こちらは1660年、王政復古後のロンドンが舞台。1660年のロンドンと、1620年代のプラハという2つの時間軸で、40年の歳月を経て、「迷宮としての世界」という一冊の本からひも解かれる謎。書籍に関する蘊蓄をちりばめて送る歴史ミステリ。と、言われた話題の本ということで、ワクワクしながら読んだ…のですが…。読み始めは、古今の書籍、哲学や文学、宗教から様々な本の話であるとか、錬金術や暗号、迷路、薔薇十字団、ルドルフ2世、自動人形、ヘルメス文書などまるでダン・ブラウンの「ダ・ヴィンチコード」のような世界観かと思ってページをめくっていったのですが…。落ちがひどすぎる(;;)ネタバレでになっちゃうので、もし読みたい方がいたらごめんなさい、という感じなのですが。一生懸命解いた謎も、暗号も、推測も、すべてはこの蔵書を探してほしいと言っていた貴夫人によって仕組まれたことで、結局探していた本は、彼女自身が持っていて、その持っている本を敵から奪われないための時間稼ぎとして主人公に本の行方を追ってもらっていた。しかも、なんだかよく分からないけれど(説明はあったけれど、よく覚えていなくて…)、彼女が住んでいる古いお屋敷が、配管が壊れたとかで洪水になり(家の中で洪水になるんです)、家に残っていた数々の貴重すぎる書籍がすべて水に流され、この肝心の本も水に流され、彼女も敵も行方不明。主人公だけが生き残って、おしまい…という…。えっ、あんだけ説いた暗号は??とか、この本はなんだったの??とか、私の中では落ちがどうしても納得できないというか(;;)。う~~~ん。という感じでした。

 ただ、当時において書籍であるとか、図書館というのは現代の感覚とは全く異なり、知識というのが一種の大きな武器であったということ、ガリレオやコペルニクスのように科学的見地と宗教的見地がずれたときに、その書物自体が大きな力を持ち、その力を抑え込むためにたくさんの血が流されたこと、という歴史の一端を感じることが出来ます。

そして最後の1冊が☆

 そして最後の1冊が、ケイト・モートン「忘れられた花園 上・下」。タイトルを見たときはそこまで惹かれるものはなかったのですが、面白かった☆☆☆オーストラリアの作家で、サンデータイムズ・ベストセラー第1位、アマゾン・ドットコム ベストブック、オーストラリアAIBA年間最優秀小説賞を受賞した本作品。

「暗くサスペンスフルで魔力に満ちた香り高い物語(…)足を踏み入れたが最後、虜になること間違いなしの傑作。≪サンデー・テレグラフ≫」「最初から最後まで、ひねりと意外性の連続。最終章まで謎に翻弄され続ける一冊。≪イヴニング・ガゼット≫」「ダフネ・デュ・モーリアの完璧なまでの継承者≪ル・フィガロ≫」「読者を現実から遠く離れた別世界に誘う壮大で豪奢な作品≪NYデイリー・ニュース≫」などなど各紙、各氏大絶賛の本著。

現代のオーストラリアに住む主人公と、その祖母、そしてその出生の謎にせまる話で、2005年の現代と、1975年の祖母の時代、1900年代のロンドンと、3代に渡る一族の物語。ここにも19世紀末から、20世紀初頭のロンドンが話の鍵を握り、その中で、話しの中心となるイライザという少女が「切り裂きジャック」遊びをするシーンなど、その当時のロンドンの風俗という点から見てもとにかく面白い作品です。なぞの解明の仕方も分かりやすく、後味もよく、夢中になって読んだら、気付いたら夜が明けていた☆という本でした!!

お電話はこちら:090-1941-8853