先週の土曜日の19時から浦添市てだこホールにて行われた「南紫音ヴァイオリン・リサイタル」知り合いの方から、とっても良い演奏をするからぜひ見に来て!!と誘われて見に行った公演ですが、本当に良かった☆☆沖縄ではもしかしたら初かもしれないイザイの無伴奏ヴァイオリン ソナタ作品27の1番~6番までの全曲の演奏!!
イザイ・ウジューヌは1858年のベルギー、ブリュッセルの生まれ。日本でいうと幕末の時代。演奏史の中のイザイの位置づけとしては19世紀からの伝統を継承しながらも現代化し、そして20世紀のヴァイオリン演奏を開拓した人物といわれています。イザイは、演奏家として名をはせた人物ですが、ヴァイオリンをメインとした曲も少なくなく、今回演奏された作品27もヴァイオリン演奏のレパートリーとして定着しつつあるといいます。第1番~6番までの全6曲は、それぞれ当時の一流のヴァイオリニストに捧げられたもので、一曲ごとに異なるコンセプトを持ち多面的な世界観を持った作品と紹介されていました。没年は1931年、世界恐慌の2年後、日本でいうと満州事変が勃発した年にあたります。
無伴奏のヴァイオリン演奏なので、眠くなっちゃうかな??と思ったのですが、それは杞憂に終わりました。演奏者の南さんの音は、深く広がりを持ち、オーケストラ曲のような音の厚みが、ヴァイオリン1本での演奏というのを忘れさせるくらいの雄大さを感じさせました。ヴァイオリンのみの演奏なので、ピアニッシモになったときの弦の震え、クレッシェンドになったときの音の反響などの音の色合いがとても明確に見えて、ヴァイオリンのもつ魅力を再発見したような演奏でした。
イザイの曲も、南さんの演奏も一日の中でいうと夕方の印象を持ちました。優しくてでもどこかせつなくて寂しい。意味もなく泣きたくなるような、メランコリックな情感。でも、力強さもあり、よわよわしい印象はありませんでした。
そのほかには、シューベルトのアヴェ・マリアを、東日本大震災の被災者の方々へ向けての想いを込めて演奏し、ラストは私の大好きなバルトークのルーマニア民俗舞曲を演奏しました。19世紀末から20世紀初頭にかけての音楽も絵画も、デザインもとても好きな私は、イザイであったり、バルトークの演奏はとっても大好き。この時代になると芸術全般に民俗的な息吹が出始め、特にストラヴィンスキーであったり、シェスタコーヴィチであったり、チャイコフスキーであったりと、ロシアの演奏家が数多く生まれます。この烈しく暴力的なまでの音楽の洪水が、胸に響き、あがらうことのできない魅力を感じます。
アンコールは、ドビュッシーの亜麻色の髪の乙女と、イザイの曲(南さんの声が小さくて、曲名が聞き取れませんでした。会場も一瞬ざわめき、えっなんて曲??というささやき声が聞こえました)でした。どちらも優しく甘い音に丸みがある演奏でした。特にイザイの曲が好きでした。南さん自身もイザイは大好きな作曲家で、今回初めてイザイの無伴奏全曲をやって、とても長い旅に出て戻ってきたような、達成感、と言っていたのできっと彼女の演奏と、イザイの曲はあっているのだと思います。彼女の演奏で初めてのイザイの全曲を聴くことが出来て幸運でした。個人的にいえば、ドビュッシーの曲は、一番ベルガマスクの月の光が好きです。沖縄で月を見ながら思うのは、沖縄の月は、ドビュッシーの月の光や、ベートーベンの月光のような、肌に突き刺さるような鋭い痛みを伴う情景の連想とは全く違うということ。月の光や月光の曲は、やっぱりヨーロッパの古城と針葉樹との間から寒々しい空気を含んだ、どこかに喪失感を持つイメージがあります。沖縄の月は、やっぱり、「月のかいしゃ」が一番似合う。その土地に根差すものなんだなと、南さんの亜麻色の髪の乙女を聴きながら、連想ゲームのように様々なことをふと思いました。