「パロール・ジュレと紙屑の都」という話は、キノフという架空の街を舞台に、言葉が凍りついて結晶になるという「パロール・ジュレ」の現象をめぐって交錯する、紙魚(しみ)となって書物を渡り歩く諜報員・フィッシュ、彼を追う刑事・ロイド、「パロール・ジュレ」を解く4人の〈解凍士〉、秘密を握ると思わしき女・レンなど様々な思いが交錯するファンタジーです。
普段はあまりこういった内容の本は読まないのですが、本の持つ雰囲気が好きで、なんだか読み始めてしまった、引き寄せられた本の一つです。
この話の中の「勘と幸運」については、すごくステキな言葉で、思わず納得してしまいました。
勘を働かせられるか、働かせられないか、気付けるか、気付けないか、その勘が正しい道に導いているか否か、ということの答えのような気がします。気付けても、もしかしたら羊の皮をかぶった狼かもしれない、そうすると勘が外れたということ。本物の羊にふわっとめぐり合えた時は勘が冴えているとき。人には、良い時も悪い時もあるし、どちらかだけが続くわけではない。
気付こうとする気持ちが、最初は狼ばっかりかもしれないけど、そのうちコツをつかんで、羊にあえる確率が高くなって、それが、幸運と呼ぶものかもしれない。
この本のこともまったく知らなくて、たまたま図書館で目が合って、手に取ったものです。
私は、本を探すときワクワクします。本の持つ空気感で読むか読まないか決めることも(内容や作者を知らない場合は特に)多いです。
この本は、本物の羊だったなと思います。
この記事から読んだ方は、(上)を読むと、「勘と幸運」について、本から引用してありますので、分かりやすくなると思います。
写真は、前回に引き続き夜に咲く、気付けは美しいのに、気付きにくい蓮の花を。
気付くということに連想して使いました。
本をイメージすると、北欧の少し灰色がかった街並みの色と、中近東あたりのスパイスのにおい、普通の人がひしめき合って暮らす雑踏の音を感じます。