今日は戦後66年目の慰霊の日。新聞紙面でも、たくさんの特集がなされている。一般住民を含む20万人を超える犠牲をだした沖縄戦。その犠牲者を悼み、恒久平和を発信する日として、沖縄各地の県立小中高校、役所などの県の機関も休みとなっています。
慰霊の日は街に漂う空気が普通の公休日とは違うように思います。なんだか、さびしく少し寂れたように街全体を覆う重い空気があります。
戦後66年がたっても、基地の負担は減るどころか増える傾向にあり、その反対運動と共に、基地から入ってくる収入に頼っている人がいるという現実。基地負担と補助金という飴とムチの構図…。今悲惨な状況となっている原発問題も、問題が起こるまでその問題点に蓋をして(警鐘を鳴らす人もいたはずなのに、それを封じ込めて)、地元には補助金、助成という形の援助?をして…。実際に問題が起こったときにはなすすべなし…。沖縄も、大小さまざまな事件、事故が起こり、でも何も変わらないという矛盾。
今後どのような世界になっていくのは、一人ひとりの行動次第。何も変わらない、良くはならないと思う人が増えればそうなるだろうし、みんなで笑顔の絶えない幸せな未来をつくりたい、絶対良くしたいと思えばそうなるだろうし。大きな力が急に動くわけではなく、小さな力の集合体がいつの間にか、良いにしろ悪いにしろ巨大な一度動いてしまえばとめることのできない力となって動き出す。20万人という耐えがたい犠牲を出した沖縄戦。その生き残った方々の血を受け継ぐ、亡くなった方々の魂を受け継ぐ私たちだからこそ。自分を大切にして、自分を大切にできる人は人の痛みや喜びを感じることが出来る人だから。最初は小さな一歩でも、少しずつゆっくりでも進んでいけたら。慰霊の日という今日この日に感じます。