沖縄ウェディング プロデュース 「Love Baile(ラブバイレ)」

美言葉 8 スプートニクの恋人(上)

2010.12.08

村上春樹「スプートニクの恋人」

 村上春樹「スプートニクの恋人」は、1999年に発表された長編小説。私も10年くらい前に読んだことがあったのですが、覚えていたのはタイトルと、登場人物の女性が、自分のドッペルゲンガーを観覧車の中から見て一瞬のうちに白髪になるということだけ。その内容も、どういう場面でなのかは全く覚えていなくて、その一場面だけがかなり印象に残ったのを覚えています。

 そんな中読んだ「スプートニクの恋人」は、月が印象に残りました。村上春樹の小説での月といえば「1Q84」。2つの月が象徴的に物語の世界を作り出します。なぜか、この「スプートニクの恋人」の中でも、私は月の光、無慈悲で寒々しい月のもつ一面が、まるで自分自身に降り注いでいるようなリアルな感覚がありました。村上春樹の文章は、こんなこと私が言わなくても多くの人が感じているとは思いますが…。まるで自分か経験したようなリアリティーを感じます。そして、主人公はみんな静的な情熱を内に秘めており、どこか達観しているあきらめと、でも決してあきらめない熱情という相反するものをごく自然に醸し出します。私は、こんな風に一度自分の中で咀嚼してから、感情を表に出すというよりは、その時の感情を瞬間的に出してしまう傾向があるので、主人公たちの静けさにどこか憧れを感じます。

 スプートニクの恋人は、村上作品の中でも、好きな話の一つです。忽然と姿を消してしまう「すみれ」。最後に「ぼく」にかかってきた電話は、現実なのか、「ぼく」の妄想なのか、本当に「すみれ」は戻ってくるのかは何も約束されていません。10年前に読んだときは、「すみれ」と「ミュウ」の同性愛の作品としか受け取らなかったけれど、今回読んでみて、同性愛は話の根幹ではなくて、どうしても交わることのできない、互いを大切にすればするほど、どうしてもすれ違ってしまう行き場のない想いというのはこの世にはどうしても存在してしまう、ということを漠然と感じました。本当に「すみれ」はどこに行ってしまったのだろう。もしかして、「ミュウ」が殺してしまったのではないか。そのアリバイに「ぼく」をギリシャまで呼んだのではないか。「すみれ」がこの世からいなくなることで二人は、あちら側で結ばれたのではないか。なんて、思ったりもしました。どうにも読み取れる。行間の多く深い作品のような気がします。

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